ドバイ旅行館


ドバイ特集

激変のドバイ

激変のドバイ

漁村からオイルの国へ

dubai_desert.jpg

ドバイは国土の殆どが砂丘に覆われた砂漠の国で、そもそもは資源に乏しい国だった。そしてかつては、漁業と真珠の輸出を主な産業とした、アラブの小さな漁村に過ぎなかった。ところが1966年に海底油田を発見したことで、全ては激変したのである。産油が国の巨大な産業となり、国は予想外に潤うことになる。

ちなみにドバイのあるUAE(アラブ首長国連邦)は、ご存知のとおり国全体が石油資源に豊富で、GDPの約40%が石油と天然ガスで占められる。いかに産業そのものに乏しく、資源によって国の経済が支えられている事がわかる。ちなみに日本はUAEの最大の輸出先である。UAEの原油埋蔵量は世界5位、天然ガスの埋蔵量は世界の3.5%を占める。一人当たりのGDPは日本とほぼ同じで、平均所得は世界のトップクラスである。
 

ペルシャ湾の油田開発

さて、これだけオイルに恵まれたUAEだが、実際の産油量は殆どがアブダビ首長国に集中している。ドバイはアブダビに次ぐ面積と経済規模をもつが、石油資源はアブダビに比べればわずか10分の1程度で、さらに2015年頃に石油が枯渇するとも言われている。
そのために石油に依存した経済から脱却する事を国策として掲げ、1990年代から夢のような計画を次々と実現していった。

その結果、約40年前には一万人にも満たなかった村が、海底油田発見を機に発展を遂げ、さらには脱石油依存の政策で都市はさらに発展し、人口は既に220万人以上(ただし8割以上が外国人)、独立してから20年間でGDPの伸びは約30倍以上に達した。

砂漠の上に作られてゆく「夢の都市」

近い将来石油が無くなるから、石油に頼らない国を目指し、「革命」を始めたドバイ。

まずはUAEやドバイの「オイルの信用」を背景に、世界中から巨額の投資を集めた。

containership.jpg

そして、石油以外で国が成り立つためのシステムとして、まずは人々の移動のハブとなる巨大な空港を作り、さらに都市の中に物流・金融・観光センターとなる機能を造り上げ、莫大な投資を行っていった。近代都市が出来上がるほどの物資を海外から運ぶだけで気が遠くなるような作業だが、それを左の写真のようなドバイ行き巨大コンテナ船が数え切れないほど往復し支えている。

 政府は特に観光産業を活性化させるべく次々と政策を進め、「観光都市」としての様相を濃くしていった。

  • 徹底的なまでの観光都市化政策(世界記録だらけの街に高級リゾート、巨大モール、24時間免税店など)
  • 観光ビザ撤廃(35カ国以上がパスポートだけで60日間滞在できる)
  • 各種ワールドカップの誘致(競馬、サッカー、テニス、ゴルフ、マラソンなど)
  • フリーゾーンを次々と開設(要は、外資が自由に参入できるよう税制を優遇した)


このような急速な都市化が進むにあたり、想像を絶するような規模の建築ラッシュが起こる。これらの数え切れないほどのプロジェクトにはドバイ国民よりも多くの労働者を雇い人口の8割は外国人となるほど。そしてこの建築ラッシュで、一時ドバイには世界の3分の1のクレーンが集まっていると言われたのは有名な話。一度入国すれば、「この国は、なにかおかしい」と誰でも気づくほど、猛スピードの24時間突貫工事で都市が形成されてきている。(昼は猛暑なので、夜の工事はもともと意図的なもの)

construction_skyline.jpg

 

その結果、ドバイは1990年にはGDPにして石油部門が35%だったが、2004年以降はなんと6%未満に抑えるなど、驚愕の変化を遂げた。(2010年には石油依存率をゼロにする計画も) 石油以外の主な収益は、観光、貿易、法人税、企業収入(国営企業など)などである。ちなみにUAE全体のGDPでは、未だに3割以上が石油に依存している。
ちなみに財政で言うと、石油が閉める割合は35%である。これは、同じUAEのアブダビは財政の80%近くを石油・天然ガスに頼っている点を考えると、驚くほど石油依存からの脱却に成功したといえる。

emirates.jpg

「ドバイ型開発」の真っ只中で、リーマンショックやそれに続く世界的な不況に直面するなどの大きな壁にも直面し、2009年11月、債務の返済に関わってドバイショックと呼ばれる信用不安を世界中に巻き起こした。資金の運用・開発のオペレーション面では今後も課題が残るが、UAE全体で取り組めば潤沢なオイルマネーで外部の力を借りずにカバーできる範囲の借金。今後はアブダビとの連携も課題となる。

 

dubai_international_airport.jpgのサムネール画像

一方、空港の利用客は1990年には年間500万だったのが、2000年にはあっと言う間に1250万人を超え、2008年には年間3000万人(成田空港とほぼ同じ利用者数)を超えるようになりました。2025年には年間一億人を超える空港キャパシティを準備する計画だそうで・・・。わずか埼玉県と変わらない面積の国ドバイに、これだけの利用客数を計画する事自体が、もう驚愕としか言えません。

このようにして、国を掲げて行った変革は、次々と信じられないような夢の都市を築いていった。例えば以下のようなプロジェクトたち。

  • 海の上にある、世界一の高さを誇った最高級ホテル
  • 人類史上最も高い建築物
  • 世界地図を模した人工島
  • 巨大な人工島をつくり海岸線を500キロ以上も延ばす
  • 気温50度でも滑れる屋内スキー場

ドバイに集まる世界一もご覧下さい

ギネスをことごとく塗り替える、世界一の記録に囲まれたドバイ。想像を絶する莫大な投資を次々と行い、世界中のデベロッパーに最新技術を入札させ、「世界一だらけ」の最先端未来都市へ変貌させてゆく。

冒頭でも述べたが、ドバイは砂漠の国。もともとビルどころか近代都市を築くのも困難なほどの場所で、夏は50度を越すことすらある。そんな植物や水に乏しかった土地が、いまや溢れるような水と緑に囲まれ、新鮮な世界中の肉・魚・野菜・フルーツが集まり、世界一の建物に囲まれた世界最先端の砂漠都市に変貌していった。

まるで楼蘭の現代版かのように砂漠に生まれた近代都市には、やはりロマンが埋もれている。

19902000.jpg

リンク集

ドバイ政府

ウィキペディア・ドバイ(英語)

ウィキペディア・ドバイ(日本語)

ナキール(ドバイ政府系デベロッパー、主に人工島や都市設計)

エマール(ドバイ政府系不動産最大手、ブルジュ・ドバイなどを担当)


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.dubairyokou.com/admin/mt-tb.cgi/8